「父の援助」
私の父は、いわゆる“多重債務者”だった。
昔は真面目に働いていたのだが、私が小学校6年の時に母と離婚し、母が兄と私を連れて出て行ってからは仕事を転々とし、家賃や光熱費の支払いも滞るようになった。
根は真面目だと思うのだが、年頃だった私はそんな父を軽蔑し嫌悪感むき出しで2カ月に一度の面会日に父と接していたように思う。
父はあちこちからお金を借りていたらしい。そしてその返済も滞っていたらしい。督促状が届いても無気力な父は放っておいたようだった。
それがいけなかった。せめて裁判所からの通知だけでも開いていれば…。
主にお金を借りていた某消費者金融から調停を申し立てられたらしいのだが、その通知も開封せず、もちろん調停にも行かなかった。
その後、父がアルバイトしているお給料を差し押さえる申し立てをされたみたいだった。
少ないアルバイト代を差し押さえられてしまった父は、生活もままならなくなった。祖父母は他界していたし、一人っ子の父は頼る人がいなかった。
離婚して初めて兄と私を頼ってきた。
兄は高校を卒業して就職しいていたし、私も高校生だったがコンビニでアルバイトをしていた。それはもちろん母を助けるためのアルバイトだったが、兄と相談し、兄は2万円、私は1万円、半年間だけ父に渡すことにした。兄が父と一緒に市役所に行き父の生活保護の手続きをした。アルバイトもきちんと真面目に行く約束をした。
これで、父が目を覚ましてくれればいいのだが…。
年収300万円の人が500万円の借金をかかえた場合どうなるか。
車のローンや住宅ローンなら、さほど苦しくはないでしょう、ですが、クレジットや
消費者金融の場合、多額の借金となりえると思います。
借入金額にもよりますが、大体一社50万借りれの10,000円くらいの返済としても、
返済金額は相当なものです。そんな生活にたどり着くまで、そう時間はかかりませんでした。
父がその本人だからです。
毎月給料が来る前には大変苦しい生活を強いられます。
なぜそうなったかとゆうと、最初の100万 200万くらいまでは、返済も特に苦にはなりません、
なぜならば、まだ借りられるから。昔は取引さえよければ、増額なんてたやすいものでした。
いつのまにか、いくら借りているかではなく、まだ返済余力があれば借りる、そんな
思考になっていた気がします。
消費者金融とクレジット会社では審査基準が違うのでしょうか、クレジット会社のほうが審査が
甘かった気もします。
だたクレジット会社は返済金額が高い、金利も消費者金融とかわらないくらい高いですが
そして繰り返し利用が面倒、1000円単位での引出ができないからです。
今はコンビニatm等で利用が可能ですが、以前は振込中心で利用をしていました。
当時は多額の借金返済、もう限界もお近いです、債務整理か破産か、悩む毎日が続いていました。
そして、この話を母に昨夜母に話した。
怒られたり悲しがられると思ったが、母は私たちが父の援助をした事を褒めてくれた。
でもこんな風に兄と私を育ててくれた母を、私は逆に褒めたい。
今となってみてとどのように当時解決したのかを思い出してみると
任意売却という方法をとったのだという
突然のことで当時は驚いたがその後、生活が安定したのでよかった。
今は自分の人生を送っているが、この経験からは教わった事もあれば反面教師的な部分もある。
借りる前に計画をたてる、借りてしまっていたら計画を立てて返す
自分の力ではどうしようもないこともあるだろう
でも、最終的には解決できた
このことは多くの人に知ってもらいたいし、自分の中でも良い教訓になっている。